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チャーガガンや各種ウイルスにたいする効果で、盛んに研究されています。 チャーガ(カバ ノアナタケ)の製品としては、細かく刻んだものをチャーガ茶にして飲むのが大半ですが、 お 求の際は製品内容をよく比較して、納得がいったうえで購入なさってください。 ...
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ガン病棟に登場する実在の医師

ガン病棟の著者・ソルジェニーツインガン病棟

チャーガと出会ったソルジェニーツイン

ガン(悪性腫瘍)をわずらったロシアのノーベル賞作家ソルソルジェニーツインが、
チャーガを服用して治ったことから、名著「ガン病棟」の執筆を思い立ちました。

ガン治療薬としてのチャーガを広めることになった「ガン病棟」。
名著として名高いのですが、現在は絶版になっています。

「最初から順序立てて言うと、こうなんだシャラフ。マースレニコフ博士のことは、さっき言った外来患者が教えてくれた。つまり博士はモスクワ郊外のアレクサンドロフ郡の田舎医者で、もう何十年も同じ病院に勤めている。で、博士は一つの事実に気がついた。医学論文には癌の症例がますます多く扱われているのに、その病院に来る農民の患者には癌がめったに見られない。これはどういうわけだろう……」

−中略−

「博士は調査を始めた。調査を始めた」コストグロートフは同じ言葉を繰返した。「そして、こういうことを発見した。すなわち、そのあたり一帯の百姓たちは、お茶代を節約するために、茶ではなくてチャーガというものを煎じて飲んでいる。それは白樺の茸とも言われて……」

−中略−
「正確に言うと、これは白樺の茸じゃなくて、白樺の癌なんだ。ほら、古い白樺の木によくあるだろう……妙な格好の瘤のような、表面が黒くて、内側は暗褐色の……」?
「自生のチャーガ(サルノコシカケ)か?」とエフレムが言った。
「そう、たぶんそれだろう。マースレニコフ先生はふと気がついた。ロシアの百姓は自分たちはそれと気づかずに、そのチャーガでもって何世紀ものあいだ癌から救われていたのではなかろうか、とね」

−中略−

「しかし推測するだけでは足りない。もっと詳しく調べなければならない。その自家製の煎じ茶を飲んでいる者と飲んでいない者とを、何年も何年ものあいだ観察する必要がある。さらに、腫瘍の患者にそれを飲ませてみなければならない。これはほかの治療法を中断することになるから、ちょっとやそっとでできることじゃない。それに何度のお湯で煎じるのか、分量はどれくらい使うか、沸騰させるのかどうか、コップで何杯飲んだらいいのか、副作用はないか、どんな腫瘍に効き、どんな腫瘍にはあまり効かないか、などと問題はたくさんある。それを博士は一々研究した……」 ガン病棟
(ソルジェニーツィン著/小笠原豊樹訳/新潮文庫より) 

実在した医師・マースレニコフ

ガン病棟に登場する実在の医師 マースレニコフ「ガン病棟」の文中に出てくるマースレニコフは1884年生まれ。
モスクワ大学医学部卒業後アレクサンドルの病院に赴任しました。狩猟が好きで、ある時、 狩猟の途中立ち寄った小屋で森番から
チャーガ
のお茶をごちそうになりながら、このお茶が昔から体に良いと伝えられていることを聞き、興味を持つようになった のです。
マースレニコフは、まず自身がチャ−ガを飲んで副作用がないことを確かめたうえで、徐々に患者に投与 してみると、転移を抑え、食欲を増進させるという結果がでました。学術誌に論文を載せるとその反響は大きく、チャーガブームがやってきたのです。 

ガンの毒性低下剤として、チャーガがソビエト保険省から承認

チャーガの反響の大きいことで行政機関の監視が厳しくなり、
マースレニコフは医師としての活動を制限されるようになりましたが、
1956年には特許を取得し、
癌の毒性低下剤としてチャーガがソビエト保健省から承認されました。

マースレニコフは、モスクワに70床のガンクリニックを提供され、
医師活動を続けたのです。

マースレニコフは、1966年に82歳で亡くなるまで、チャーガの研究を進めました。

ソルジェニーツィン自身、政治犯としてウズベクに流刑中、悪性腫瘍に罹っています。
その時、チャーガの処方を聞き、それを服用し悪性腫瘍が治ったのです。
ガン病棟」に登場する人物で、実在するのは、マースレニコフただひとりです。
感謝の念と敬意を表してのものでしょう。

マースレニコフ
1884年生まれ。モスクワ大学医学部卒業後アレクサンドルの病 院に赴任。
モスクワに70床のガンクリニックを提供されて医師活動を続ける。
亡くなるまでチャーガの研究を進めた。1966年に82歳で死去



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